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城南支部について

城南地区のご紹介

[品川区]
昭和22年に「品川区」と「荏原区」が合併して誕生したのが品川区です。
区内は大きく分けて、品川地区、大崎地区、荏原地区、大井地区、八潮地区に分かれています。
品川区は東京都の約1/3を占める武蔵野台地の東南部の一部と、その東側に位置する低地および埋立地からなっています。武蔵野台地は10の台地に分かれていますが、品川区は目黒川をはさんで、芝白金台と荏原目黒台に二分され、さらに立会川によって、一部が目黒台と荏原台に分かれています。
また、低地は目黒川に沿った大崎や五反田、海岸に近い品川や大井あたりに広がっています。
江戸時代の品川は、五街道で最も交通量が多い東海道の最初の宿場として栄えていきました。品川宿は、江戸四宿のうち唯一海に面した宿場であり、名所や魚介類の名物が多く、風光明媚な地として、四季折々に江戸市中から多くの人々が訪れたのです。現在でも旧東海道が現存し、多くの人が昔日の思いに浸りながら歩く観光名所となっています。
また、武蔵野台地の東端にあたり高台の見晴らしの良いところには大名屋敷が数多くありました。その広い土地を利用して現在は学校や公園として利用されているところが多くあります。
幕末になると、品川台場の築造をはじめ英国公使館焼き討ち事件など歴史の舞台ともなりました。
明治になり品川はいち早く鉄道が敷設され、官営品川硝子製造所が設立されるなど近代工業の先がけとなり、京浜工業地帯の発祥地として発展していきました。
関東大震災以降は一層開発が進み、田畑が宅地や工場へとかわり、私鉄が次々と開業し、区域全体が都市化していきました。
戦後内陸部では住工混在の木造住宅密集地域が形成され、沿岸部では火力発電所や大井コンテナ埠頭などができました。立地のよさから商業を中心に発展し、更には京浜工業地帯の発祥としてものづくり拠点の一翼を担いました。
今後もリニア新幹線の基点になり、また首都高速環状線が延伸されてますます便利になります。更に便利な街として発展していく事でしょう。


 

[大田区]
昭和22年に当時の「大森区」と「蒲田区」が一緒になって誕生したのが大田区です。その際、両方の一字ずつを取って命名されました。
大田区の前身である大森・蒲田の両区は、ともに昭和7年10月に、当時の東京市へ隣接する郡町村が編入された際に設置されました。
馬込、東調布、池上、入新井、大森の5つの町が大森区に、矢口、蒲田、六郷、羽田の4つの町が蒲田区になりました。
海と川に臨み、武蔵野台地の先端に位置していることから、昔から人が住みやすく、交通の要路でもあったため、区内には大森貝塚、多摩川台古墳群、池上本門寺五重塔など多くの史跡が点在しています。また、水止舞や禰宜の舞などの伝統芸能も数多く残されています。
大田区の地形として台地部は、関東大震災後住宅化が進み、田園調布、雪谷、久が原など比較的緑の多い住宅地となっています。臨海部は埋め立て地からなっており、空港をはじめトラックターミナルやコンテナふ頭、市場など物流施設のほか、工場団地、野鳥公園など都市機能施設が整備されています。
江戸期は農漁村で、特に海岸の大森・糀谷・羽田地区では海苔の養殖が昭和38年まで盛んに行われました。また、東海道の街道筋にあたっていたため、人馬の往来で賑わいました。大正期以降、中小工場が進出し、低地部は住宅や工場が密集する商業・工業地域を形成し、京浜工業地帯の一部となっています。
戦後はものづくりを中心として発展し、日本有数の産業集積地帯を形成しました。
町工場と呼ばれる規模はあまり大きくない会社がほとんどですが、ネジ一本から新幹線、人工衛星、半導体の部品まで日本におけるあらゆる産業分野の下支えを行っています。
現在ものづくりは大半が自動化され機械で担われています。しかしながら、機械では把握できない非常に高度な精度を出すためには熟練した職人による作業が欠かせません。大田区のものづくりにはデジタルでは実現し得ないアナログの感覚がまだ息づいています。
また、東京国際空港による人と貨物の流通は、すでに起きている国際化に対し、日本の玄関として大きく貢献しています。これからも大田区はものづくりを基盤とし日本の空の玄関として成長していく事でしょう。